阪神淡路大震災が教えてくれた「温かいごはん」の意味

14歳の冬、失ったもの

阪神大震災の時、私は14歳でした。家は半壊し、水もガスも止まりました。

 

一番辛かったのは、温かいものが食べられないことでした。

 

体は冷える一方なのに、口にできるのは冷たい食事だけ。スーパーに急いで行って、パンが買えたらラッキー。電子レンジも使えず、お風呂にも入れない。体調も崩れて、寝不足で、寒さで体が芯から冷え切っている。そこに冷たい食べ物だけだと、胃への負担も本当にきつかったです。

 

そんな生活が2週間以上続きました。

 

大阪で見た「当たり前」の光景

神戸の山の方から大阪の親戚の家を目指して避難した時、驚きました。大阪に近づくにつれて、みんな普通の生活をしているんです。電気もある、温かいものも食べられる。

  

その光景を見た時、初めて気づきました。温かいごはんが食べられるって、こんなにも特別なことだったんだと。

 

今も残る感覚

だから今、災害セットを見ると思うんです。温かいものが食べられるだけで、私にとっては本当に美味しい。普通の人が食べたら「美味しくない」って言うかもしれない災害食でも、私にとっては全然ありがたいんです。

 

寒くて、疲れて、不安で、体が縮こまっている時。温かいものを口にできるだけで、心も体もほぐれる。それだけで救われる。

 

あの2週間が、私に教えてくれたことです。

温かいごはんが食べられる。それだけで、幸せなんです。

 

 

スタッフ6号(スタッフ1号3号に話してくれたこと)

備える大切さは、体験した人の声から。会社で災害食を食べて感じたこと。

レスキューフーズ(一食ボックス)

「シチュー&ライス」

外箱の手順に沿って温めると、

アツアツのシチューに!!

 

レスキューフーズを試食のため温めていると、スタッフ6号が

「これ、うちにもあります」と。

その後の会話で、阪神淡路大震災での貴重な被災体験を聞くことができました。

 

スタッフ1号3号